まあ~勝ったり負けたりと・・。紆余曲折の右往左往しながらの日々を過ごして、
勝利を手にすれば歓喜に沸き、敗戦を目の当たりにすると無念さに苛まれる・・。
そんな葛藤は、繰り返される日常茶飯事のことなのだ。
「この前は調子が悪かったね~。」 先だっての反省会の席上でしきりに聞かれた言葉。
「・・・。」 ま、たしかに調子の悪かったことが多くて敗戦の憂き目にあってしまった訳だが、
程よく酔いが回り始めた中で、その言葉に何か違和感を覚えた・・。
調子の良い時は勝って、悪かった時は負ける・・。
それはそうだが、何かしらその日の調子の「当たりはずれ的」なことで
勝敗を左右させていいものだろうか・・と、少し疑念を感じてしまった。
例えば、「今日はピッチャーが調子良かった~♪」 勝利を招いたその頑張りを讃え、
その逆で、不安定な投球で力を発揮できず、「・・調子が悪かったね。」と敗戦を分析。
そんな調子の善し悪しで、勝敗の別れ目の要因として片づけていいものだろうか~って?
当然のことだが、調子の善し悪し如何に関わらず、勝利を目指すのであって、
調子の善し悪し如何に関わらず、まずは全力をもって戦いに挑むのである。
しかし試合の展開が進む中で、子供たちの好不調などが出現した時は、
そんな状況に応じ、選手を交代したり、ポジションを変更したりと修正をかけながら
勝利を勝ち取るためのできる限りの方策を模索し、目標を達成させていくということである。
調子の善し悪しは敗因となる一つの要因に過ぎず、その理由でもって片づけられると、
本当の要因を見えにくくしてしまい、いつまで経っても改善の方向を見失ってしまうのである。
厳しくみれば、「この前は調子が悪かったね~。」 そんな言葉の裏には、
少なからずとも負け惜しみが混在し、調子が良ければ勝てていたのに・・と、
安易な慰めをもって傷を舐めあっているのに他ならないのではないかと危惧してしまう。
敗戦を真摯に受け止め、その根底にある本当の要因を解消していかなくては、
真の勝利には結びつかない・・。そう思えて仕方がないのである。
調子の善し悪し如何に関わらず、目の前に対峙する相手に全力で挑む。
調子の善し悪し如何に関わらず、普段の生活や日常からの姿勢を見直す。
調子の善し悪し如何に関わらず、常に前進していく気概を持たなくてはならないのだ。
そして、調子の善し悪し如何に関わらず、できることをしっかりと取り組めば、
自ずと視界が良好となり、進むべき道が開けていくことになろう・・。
「この前は調子が悪かったね~♪」 そんな話はさておき、自分らの在り方を振り返る。
調子の善し悪し如何に関わらず、できていることとできていないことがあるはずだ。
敗戦した時の理由は、「調子の善し悪し如何に・・。」の他にたくさんあるような気がする。
我々みんながそこに辿り着けるよう、頑張るしかないってことだ・・。