何年か前の冬季大会の時に中学校時代の恩師に出会った・・。
「あら先生、お元気ですか?」M先生は年齢がそれなりになっていると思うが、
雰囲気は昔のまんま・・。何とも中学時代の思い出が脳裏に浮かんだ。
「なんだ~お前、頭が真っ白じゃないか。」口調も当時のまま。
「・・・。」くそ、人が気にしていることを・・。
「なんでまたこんなところに?」ワジワジしながらもそう聞くと、
「いや、孫が少年野球をやっているんだよ・・。」グラウンドに目をやる。
ほう・・。しかし恩師が言うそのチームとは何度も試合をやっているんだが、
応援しているM先生の姿は一度も見たことがない・・。
このことを告げると、少し照れながら孫の試合を見るのは初めてだとのこと。
「もう卒業だって言うからね。」6年生か、もっと早く応援に来たら良かったのに。
ま、先生自体が古典の先生だったし、中学校の先生時代は文化系の部活の顧問が
ほとんどであった・・って話を聞いたことがある・・
「しかし、野球を見ると思いだすよな~。」しみじみと語り始めた。
それは何を隠そう、自分らの中学校3年時の野球部の顧問なのである。
夏季総体を控えたある日、「部活の顧問がいなければ夏季大会に出場できんぞ。」
野球部主将だった自分と副主将が職員室に呼ばれ、校長先生に言われた。
自分が1、2年時に顧問をしてくださったT先生が別の中学校へ転勤となった。
「おい、どうする?」副主将が職員室を出ながら声をかける・・。
「今、思案中だ・・。」そんな会話を交わしたことも鮮明に覚えている。
う~ん、前年度からいる先生方は他の部活の顧問をしていて無理そうだし、
あの当時の野球部といったら、いろんな部活内でもお荷物状態にあった・・。
こんな野球部の顧問なんて見つかるだろうか・・。ほんとに心配になってきた。
あ~あ、少しは真面目に部活しておけば良かった~と言ってもあとの祭り。
「あ、今度転勤してきた古典のM先生はどんなだろう~?」と副主将が提案。
「・・。」いかにも運動できなさそうだし、大丈夫かなって不安がよぎる。
でも、もうこのM先生しかいない・・。ダメもとでお願いしてみるか・・と、
そのまま踵を返し、職員室にいるM先生のもとへ向かったのである。
「俺、野球なんて知らないぞ。前にいた中学校では将棋サークルだったし。」
「・・。」思わず二人とも目がテンになっていたのかもしれない。
しかし、もう~このM先生しかいない。「いいです。野球なんて分からなくても。」
いやはやなんとも、無茶苦茶なお願いになってしまった。
ま、考えれば自分らお荷物部活にはピッタリかも~なんて考えも浮かんだり、
「いいです。練習に来なくても試合の時だけユニホーム着けてもらったら。」
しばらくM先生は思案して、「じゃあ、いいよ。」なんと了解を取り付けたのだ。
お~なんとか顧問をゲット・・。どうにか最後の大会には出場できそうだって
ホッとしたのを今でも覚えている。
案の定、M先生はその間も1度か2度ぐらいしか練習に来ていない。
たまに来ればジャージを着けていないし背広のまま。足元はつっかけ草履・・。
ノックなんてもってのほか。指導も何にもない。ま、そのことは承知の上である。
そして迎えた中学校最後の夏季大会・・。
「先生・・これ。」オーダー用紙を手渡す。自分がその日のオーダーを考えて、
先生が発表するってこと・・。「え~1番サード◎◎、2番ショート・・。」みたいな。
当然ながらサインも自分が出す。先生は何もしない。ただベンチに座って頷くだけ。
ところが何の奇跡が起きたのか、我が中学校野球部は県大会の出場を果たしたのだ。
残念ながら一回戦で負けてしまったが、中学校創立以来初めての野球部の県大会出場。
ま、創立以来初めてって言っても、まだ創立3年しか経ってはいませんでしたが。
しかし、この物語はまだまだ続く・・。
自分らが無事に大人になったある年、中学校3期生の同窓会があったのだが、
そんな同窓会にどこかの中学校の校長先生になっていたM先生もお招き。
そして挨拶をお願いしたところ、一発目にこんな言葉で始まったのである。
「え~自分が我が中学校野球部を初めて県大会に導いた男です・・。」と。
その時、会場は大喝采・・。特に我ら野球部卒業メンバーは大いに沸き立った。
「自分が運動系の顧問をしたのもこの時が最初で最後。良い思い出になった。
そんな自分を野球部に招いたあの当時の子供たちに感謝しています・・。」
「・・。」その言葉になぜか泣きそうになってしまったことも記憶している。
「・・で、その時考えたオーダーは今でも覚えています・・。
1番サード、◎◎、2番ショート・・。」って高らかに発表したのであった。
「・・。」おいおいおい・・。それは自分が考えたオーダーだろうが。
・・ま、いいか。
久々にお会いした先生は、すっかりおじいちゃんになっていたし、
自分もあの当時のM先生より年齢もだいぶ上回っている。
年月は過ぎても「県大会に導いた男」の記憶はまだ色褪せないでいた・・。