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2021年09月06日

「道具」の立場・・?


まあ~前々から気になっていたことを申し上げたい・・。

様々なスポーツや競技で時たま見られる行為なのだが、プレーヤーが
思うようなプレーができない、失敗すると「道具」に当たる行為・・ってやつ。
例えば、野球で言えば三振するとバットを折ったり、ピッチャーであれば、
投手交代させられるとベンチに戻るなり、グラブを投げつける等々・・。

「あ~あ、自分の不甲斐なさが抑えきれないんだな~。」 そう感じる反面、
破損されたバットがテレビの画面でアップされると、何となく切ない気持ちになる。。

「・・俺のせいじゃないのに・・。」 道具がそうつぶやいているようにも思えてしまう。

プロとアマのそれぞれの立場は違えど、自分自身の怒り(?)に任せて、
「道具」を破損する行為は正直、あまりいいようには見えない・・。
野球如何に問わず、「道具は大切に・・。」 そう言われてきたと思うのだが。


ま、身近な我々のことで言えば道具を破損するというよりかは、
「道具を忘れる」ってことが頻繁・・。大会や練習試合、はたまた普段の練習など、
「誰か」が「何か」を「忘れる」行為は日常茶飯事で、なかなか無くならない。

また「無くした」であろう道具を呼びかけても持ち主が現れないことも多々・・。
もうそうなれば、「忘れた」物ではなく、「忘れ去られた」物になっている。
「・・お前の持ち主はもう忘れてしまっているはず・・。」
残された道具に語りかけながら回収し、持ち主が現れるのを待つ。

中にはまだまだ新品な物もあったりして、十分に使いこなされないまま、
「忘れ去られた(?捨てられた。)」らしく、手にとってじっくり眺めると、
道具の形状や模様が人の表情に見えて、哀愁を感じてしまうのである・・。

ここでも「・・俺のせいじゃないのに。」 そんな嘆きが聞こえてきそうだ。


「道具」の立場・・?


当然、学童野球を指導する立場としては「道具は大切に・・。」は常套句。
それは自分の持ち物であったり、全体の道具であったりすることに対し、
野球の技術以上に口酸っぱくするのは、健全育成の取り組みのひとつ。
それは学童野球であるからこそ重視されている・・と思っている。

先ほども述べたが、プロとなると見方が違うのでは・・と妄想する。
たしかに道具に当たる行為は教育上で考えればもちろん良くない。
しかし彼らはプロとしての真剣勝負をやっているわけであって
決して「部活動」の一環としてやっているわけではない・・。

やはり勝負に負ければ、自分の今後のキャリアに関わることだし
悔しくても何ら平気な顔をしていいってもんじゃないはず・・。
「道具」はあくまでも自分のパフォーマンスを最大限に発揮するための
体の一部・・とするならば、それは「道具」に当たっているのではなく、
「道具」と一体化した自分自身への怒りの表現かもしれない。

少し妄想しすぎか・・。

いずれにしても、「道具」がなくては成り立たないことは重々承知。
だからこそプロでもアマにしても「道具」へのリスペクトは大事なことである。

破損されるにしろ忘れさられるにしろ、その持ち主が手にした時は、
その「道具」はこのような結末が待っているとは予想もしていないだろうし、
「ボロボロ」になるまで使いこなされて、その寿命を全うすることが本望。

「自分を選んだくれたこの人に最後までついていきたかった・・。」 なんて。
そんな声なき声が聞こえてきそうで忍びないのである。


プロアマ各々の立場も然り・・。「道具」の立場も考えてみてはいかがだろうか。






Posted by UMUサン at 22:15│Comments(0)
 
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