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2020年10月28日
サインの「使い方」について考察する。
本日夜、学童野球名護ブロックの役員会を開催。
来たる「第146回冬の大会」のことやそれまでに日程、審判員講習会など
その他諸々のことについて話し合ったわけだが・・。
決めるべき協議事項をひと通り話し合った後、
「え~他に何かありましたら・・?」 進行役の自分が意見を求めた。
すると「最近、試合進行が遅いように思うんだけど・・。」 一人の役員が口火を切る。
それをきっかけに他の役員も雪崩のごとく、いろんな意見が押し寄せる。
・・特に、監督が出す「サイン」のことが多く出たという事実。
「まあ~監督のサインが長いし、それを確認する選手の動作が遅い。」
つまり監督のサインが出ている間、打席に入ったままピッチャーの投球を手で制し、
ずっとサインを見ている動作のことだろう・・。なにかとよく見る光景ではある。
「一球ごとにサインが出ているチームもある・・。」とか
「いや、それどころか2死でランナーもいないのに、長いサインが出ている。」など、
まあ~サインに関してだけでもたくさんの意見が出てきたのである・・。
「・・。」 そんな話を傍らで聞きながら、「勝つために必死なんだね。」と、
現場にもいる立場としてはサインを出す監督等の思いも分からないわけではない。
・・が、だからと言ってむやみで無意味のサインも正直あると感じている。
・・・そういえば、以前に他ブロックのチームと練習試合をした時のこと。
向こうのキャッチャーがピッチャーの1球ごと、投げるたびにベンチを覗く。
「なんなんだろうか・・?」と不思議に思っていると、
あら、ベンチにいるコーチが投球のサインを1球ごとに指示している。
それもブロックサインで・・。だから、ピッチャーの投球間隔が長過ぎる・・。
ま、ピンチの時に投げる決め球の指示は良くあるが、配球サインまではね。
それも相手の主力だけじゃなく、全選手の全打席をそんな感じに・・。
・・果たして、そこまでする意義があるのか・・なんて考えさせられた。
もっと子供たちの自主性に任せたらいいのに・・なんて頭をよぎる。
こう言ったらお叱りを受けるかもしれないが、
学童野球なんてサインがばれたってそんなに影響ないと思っている。
ま、困るのはランナー3塁の得点機でのエンドランやスクイズぐらいじゃないかと。
自分の場合、チビッ子チームということもあって、口で言ったりもするし、
ジェスチャーもよくやる・・。バンドを3塁前に転がせ~ってバントの構えをしながら
3塁方向を指さしたり・・。ランナーがいないと基本的にはサインは出さない。
サインがあっても分かりやすい・・。難しくすると子供たちが分からなくなるし、
それどころか自分がサインを忘れていたり、相手チームにばれることも多々・・。
ま、別にバレてもいいんじゃないの~なんて正直思っている
そんな中、少しサインの使い方について考察してみたい・・。
勝利を目指すためのチーム戦略の1つであるのは間違いないことである。
野球のレベルが高度になればなるほど、サインは重要なアイテムとなるし、
過去にサイン1つで勝敗を決することもたくさんあったと経験している。
当然、学童野球においてもサインは必要不可欠だと思っているし、
チームを勝利に導くための戦略を実行するには重要だと認識している。
・・が、学童野球のレベルではもっと重要なことがあるのではないだろうか・・。
昔、バットを思いっ切り振れない子の専用サインを作ったことがある。
それは、「・・ホームランを打て・・。」 そんな突飛もないサイン・・。
このサインを出すと、出された子はニンマリ笑って思いっ切りバットを振った。
結果、ホームランは打てず、「サインミス」とはなりましたが、
思いっ切りバットを振らすってことの目的は達せられたのである。
戦略のためにだけではなく、子供ら個々の秘めている未知なる力を
引き出すきっかけのための「サイン」があっていいのでは・・なんて思っている。
チームとしての「サイン」じゃなく、その子だけの「サイン」って、そんなやつ。
そんなことを思案している中、役員たちの激論が遠くでこだましている。
話題はまだサインのことのようだが、その結論は、はた?如何に・・。
・・今一度、サインの使い方について考えてみるのもいかがだろうか?
Posted by UMUサン at 22:30│Comments(0)