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2020年08月08日

三線の花・・。


さて・・。コロナ自粛期間中、家で「ツンツクテン・・。」 三線を奏でる日々・・。

ひと昔(約15年ほど)前、屋部に引っ越して来たばかりの時期、
夜に時間があれば「ツンツイクテン・・。」 洗濯機を回しながら「ツンツクテン・・。」
それはもう~熱中すると言った域を越える・・ってもんじゃない。
数多くの工工四(三線の楽譜)と沖縄民謡のCDを購入した次第・・。

気がつけば夜中の3、4時なんて当たり前・・。次の日、寝不足気味の頭に
三線の音色がこびりつき、いつまでも頭の中でリピートしている・・。


そんな三線を始めたきっかけだが、その約15年前からさらに先にさかのぼる。
自分の生まれ育った地域で青年時代、村の豊年踊りに携わる・・。
元々はうちの婆さん(母親)が長年にわたり、村の豊年踊りに出演していたが、
蛙の子は蛙・・。いつしかその三線の優しい音色に導かれていく。

そして時は経ち、村の豊年踊りもベテランと呼ばれる域に達しようかとした時、
「豊年踊りの地謡(じかた:踊りの演奏者)を養成する教室に参加しないか?」と
村の長老たちに声をかけられた・・。 「・・。」 最初は戸惑った。
なんせ初めて触る・・。当然、楽譜(工工四)は読めないし、弾き方も知らない。
興味はあるものの、とても自分が使いこなす代物のではない・・と思った。

「いや~慣れれば簡単だよ・・。」 そう気楽に言ってくれはするが、
慣れれば簡単になるのは当たり前だ・・。そう慣れるまでが大変なのだ。

ひとまず、村の地謡になることは荷が重いので、触るだけ触ろうかなと決意。
毎週火曜日の夜に行われる教室に通い始めた・・ということなのだ。

するとどうだ・・。通えば通うほどのめり込むスピードが加速・・。
その教室だけの練習に止まらず、家でも「ツンツクテン。」 音色が響き渡る。
いつしかそれは我が家での生活音の一部となったのである・・。

・・しかし、それも学童野球が忙しくなった頃から徐々に遠のき始めた。
あれほど毎日手に取った三線は部屋の片隅で埃を被り、飾り物の一部となる。
大量の工工四とCDも一緒に忘れ去られた存在となってしまった・・。

そして三線の音色もあの当時の子育ての悪戦苦闘にかき消されていったのだ。


三線の花・・。


「埃を指でなでて 緩んだ糸を巻けば
退屈でたまらなかった 島唄が響いた・・。」

沖縄・八重山が誇るアコースティックバンドBEGINの「三線の花」の一小節。

いつしか忘れ去られた三線を奏でると昔の思い出も蘇る・・と言った意味の
沖縄の風景のような情緒豊かなメロディーに心が和やかになる・・。

そう言えば・・。
自分が三線を奏でた時、小さかった子供らが傍らで太鼓を打ち始める。
まあ~音階や音程はかなり外れていたが、そんなことはどうでもいい。
それが笑いを生み、三線の音色と共に楽しい雰囲気が流れる・・。

三線の弾き方と同時に昔の思い出も蘇るのである・・。

「鮮やかに蘇る 貴方と過ごした日々は
やわらかな愛しさで この胸を突き破り
咲いたのは 三線の花・・。」


・・コロナ自粛の期間・・。ステイホームするのも悪くない・・。





Posted by UMUサン at 21:50│Comments(0)
 
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