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2020年05月18日

「美浜ランジェリーズ」よ、永遠に・・。


先だって野球連盟北部支部のグループLINEでの一報・・。
「北部支部一般の部は24日(日)から大会再開するそうです。」
名護ブロック審判長から伝達・・。「ほお~いよいよ動き出すか・・。」 そんな実感。

まあ~学童野球同様、新型コロナ感染症のため活動も自粛規制が実施される中、
野球はできないわ、反省会で飲みには行けないわの2重苦を強いられていた。
少しずつだが、一筋の光明が見え始めたことに安堵感が湧く・・。
・・やがて近いうちに学童野球も活動再開の目安が示されてくるだろう。

一般の部の活動再開は、何かしらの希望が差してくるような感じさえ受けるのだ。

過去の話だが、「一緒にやらないか~。」 同級生や諸先輩方から
幾度となくお誘いしてもらったことがある・・が、その頃から学童野球に熱中。
何故だか、自分のプレーよりも子供らのプレーに関心が高くなってしまい、
「いつかはやりたいね~。」 そう思いつつも、現在まで延び延びとなっている。

「・・還暦時にはユニホームを・・。」 高校球児時代の同級生と顔会わすたび、
合言葉にするもそれに向けての準備を進めているかと言えば、そうでもない。
果たしてその合言葉は現実となるかどうかは今のところ、まったくの未知数であり、
夢ばかり膨らんでいく反面、体力の方は日に日にしぼんでいくのである。


そんな中、一般の野球チームのことで言えば古い記憶が残る。
・・もう~30年以上のことなので、具体的なことはあまり覚えていないが、
途切れ途切れとなっている記憶の断片を紡(つむ)ぎながらお話ししたい・・。

しばし昔話にお付き合いのほどを・・。

「大学では野球しなかったの?」 自分と同じ大学に進んだ竜誠がいつしか質問。
そんな竜誠は大学の準硬式野球部で3年間無事にやり通したという実績がある・・。
「うん。でも野球は仲間を集めて一生懸命にやったよ・・。」 そう返答する。
確か部活をしなかったのは、もう~高校野球で十分にやってきた・・ということと、
見知らぬ地に進学した中で、部活を続けながら学業と生活を両立させることが
できるほど経済的に余裕がなかったってことなどが主な理由・・であったような。

学業(・・と言うほど頑張った訳じゃないが・・。)と部活の両立ではなく、
それがバイトであり、大学生活を満喫しようとの気持ちであったこと・・である。

・・とは言うものの、まったく野球から手が引けず、有志(大学の同級生)を集めて
一般の軟式野球チームを結成し活動した次第である・・。

そして、その野球チームは「美浜ランジェリーズ」と命名したのである。

「ええ~、ランジェリーズ~!」 そう思われる方も多いだろう。
自分らの大学が愛知県美浜町ってところにあったことと、チームの主将の彼女が
名古屋の松坂屋というデパートのランジェリー売り場でバイトしていた・・ってことが
命名の由来だったような、そうじゃなかったような曖昧な記憶でしかない

しかし、この名前には幾度となく恥ずかしい思いをしてきたわけで、
ある日の町内の野球大会に出場した時の抽選会の時も白い目で見られたし、
試合のある日に雨天であったためゲームをするかどうか確認で電話した時も、
「え?チームの名前をもう一度・・。」 二度聞きされたことも多々・・。
「もう~チーム名、変えよう~!」 反省会時に何度か激論を交わしてきた。

しかし、我ら貧乏学生集団にとっては新たにユニホームを買い替えるほど、
経済的な余裕もなかったし、また奇抜なチーム名のせいか、相手チームに
しっかりと覚えられていたなど、幾度となくチーム名変更の検討をされながらも、
諸処の理由でもってそのままにしていた次第であった・・。


チームのメンバーと言えば、1年次の同級生が中心となって構成・・。
そんな中、高校までの野球経験者は自分含めてわずか2人だけという。
あとは卓球部出身やバスケット部であったり、中には「遊」部もいたりして、
ルールさえも知らない奴も数多く・・。当然、野球チームとしての実力は
まったくの0(ゼロ)状態であった・・が、まあ~それは楽しくて仕方がなかった。
「野球ってこんなにも楽しいものだったのか。」 そう思ったほどである・・。

そんな、ど素人軍団のチームがいつかの隣町の大会で戦前の予想に反して
どんどん勝ち抜いていき、なんとベスト4に進出を成し遂げた・・。
決勝戦進出まであと一歩で迎えた準決勝戦では、地元の居酒屋チームに完敗。
しかもノーヒットノーランのおまけ付きであった。

・・あとで聞いた話だが、その相手の居酒屋チームのエースがプロ野球でも活躍し、
新人賞も獲得したことのある有名なピッチャーだったらしく、引退後は地元に帰り、
居酒屋を経営・・。そこでチームを結成し、今でも野球に勤しんでいるとのこと。
「・・なるほど。そういうこと・・。」 それじゃ~勝てんわ・・って。
投げる直球や変化球がハンパなかったな~って覚えている。

大学在学中は、このメンバーで卒業する日まで野球を楽しんだ。
それが一般チームの記憶であり、懐かしの「美浜ランジェリーズ」の思い出である。


「美浜ランジェリーズ」よ、永遠に・・。

「美浜ランジェリーズ」よ、永遠に・・。

《・・竜誠曰く、「大学時代が一番上手だった・・。」って話である・・。》


「・・とまあ~おとんの大学時代はそんな野球だったな・・。うん。」 振り返る。
「まるでアホだね・・。」 そんな竜誠が呆れた表情を見せる。

凛太朗も入学当初、「野球はやらない~。」 野球道具一式を置いて旅立ったが、
そんな時間も経たないうちに「やっぱ、野球道具送って。」 そんな連絡が入ってきた。
「だろ~♪」 やっぱりな・・って笑みを浮かべながら荷物を送った・・。

竜誠だって大学ではしっかりと野球を続けてきたし、卒業後もどんな形であろうと
野球は続けていくのではないか・・って思って期待しているし、
いくつになっても野球に携わるのはある種、宿命(さだめ)なのかもしれない。


ちなみに、今年で大学を卒業して33年目を迎える・・。
今から3年前、「今年で30年目になるよ~。」 春先、沖縄に遊びに訪れた
大学の友人ら家族と久し振りの再会にお酒を酌み交わしながら、そうつぶやいた。

ま、解散はしていないんで、「美浜ランジェリーズ」も36年目の年となる。
いつかこのメンバーと再会し、また野球ができたら・・と思うと、さらに夢が広がる。


我ら、懐かしの「美浜ランジェリーズ」よ、永遠に~ってことかな・・である。





Posted by UMUサン at 21:35│Comments(0)
 
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