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2019年03月19日

「正々堂々」の定義・・。


スポーツ界において、「正々堂々」は不可侵なものであり、
我々はそれを遵守することで、「勝負」を清廉潔白なものにするのである。

技術の向上や精神的な熟度の到達は、スポーツを営む者にとって
大きな目的・目標であり、日々の鍛錬はそれを達成するための手段となり、
勝利を目指すための「勝利主義」は迷うことのない動機なのだ・・。

しかしながら、「勝利主義」が過熱し、「勝利至上主義」に変容することになれば、
本来の「正々堂々」たる姿が大きく揺らぎ、スポーツ本来が担うその在り方に、
疑念を投げかけることになり兼ねない事態を招いてしまうものとなるのである・・。


「正々堂々」の定義・・。


さて、「正々堂々」との定義は、どこにどう示されているのであろうか?

例えば、野球で言うならば・・、
ピンチで強打者を目の前にして、勝負を避けるための敬遠策であったり、
小さな投手が緩急を織り交ぜ、あるいは投球モーションを変化させるなど、
決められた、認められたルールの中、最大限の創意工夫で臨むことに対し、
「正々堂々と・・。」なんて、咎(とが)めることなど、できるのであろうか?

当然、野球において「プロ」と「アマチュア」では、その立場が大きく異なる。

プロは、自分の力を発揮すれば大きな報酬をもたらす職業的であると同時に
勝負に徹することが前面となり、勝利が何よりも大きな目標となるのである。
(・・だからと言って「正々堂々ではない。」と言うことではない。)

反面、アマチュアは人間が成長していく過程の要素が大きな比重を占める。
特に学童野球の世界では、子供らの基本的な成長を育む一つの術として
「野球」が位置づけられることもあって、何よりも勝利が優先するものではない。
だから、より一層「正々堂々」的な姿勢が求められていることも多々なのだ。

ならば、「ルールで決められている・・。」と言うことであっても、
「正々堂々」の観点からすれば、ルール範囲の創意工夫を駆使することは
グレーなものとして見られ、そのことは相いれられないものとなることも。

結果、「健全育成」の意味を色濃く示すことが求められるのである・・。


では、強大な相手に対峙し、絶対的に勝ち目のない場面に遭遇したとき、
力の小さな自分が挑むため、全力で創意工夫(ルール範囲)を施すことは、
・・果たしてそれは、「正々堂々ではない・・。」と声を大にできるであろうか?

我ら学童野球に携わる者として、子供らに対し「健全育成」や「正々堂々」等は
欠かすことのできない大切なスパイスであり、それら欠如しての関わり方は、
学童期や青年期のスポーツが求めるべきものを排除してしまうものとなる。

「正々堂々・・。」の定義・・。
何が正しくて、何が過ちなのかは、結論付けるのはいささか早計ではあるが、
その定義を追い求める形は違えど、子供らも指導者も全力で挑んでいる姿は
決して否定することはできない・・。いや、否定してはいけないのである。

ただ言えるのは、ルールで決められていることだろうがなかろうが、
「正々堂々と勝負する」姿は強く求められているってことではないだろうか?

「ちょっと何言ってるか分かんない~。」 by サンドイッチマン


・・至極、申し訳ない・・(詫)。





Posted by UMUサン at 23:50│Comments(0)
 
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