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2017年09月20日

「渡鬼」を通じて敬老を考えてみた・・。

さて、一昨日は「敬老の日」・・・。全国各地で長寿を祝うイベントが開催されていた・・。

各種報道によると、今年、全国で65歳以上とされる高齢者の数は3.500万人以上とされ、
その中でも90歳以上を迎えた方々は約200万人と、いずれも過去最高の数字となっている。
つまり、約4人に1人の割合で現役世代が高齢者を支えるという統計上の人口割合が示され、
ますます超高齢社会がひとつの社会問題として浮き彫りとなっているようだ・・。

安心して長寿を迎える社会の背景には、それを支える社会構造上の問題が見え隠れ。
社会福祉の推進を業とする自分にとっても看過できないことのひとつなのである。

そんな中、「高齢者って何歳ぐらいからですか?」との街頭インタビューが行われ、
「65歳」や「70歳以上」なんて回答を寄せる街の人々の声に自然と耳が傾く・・。
まあ~まだまだその域には達しないが、どちらかというとその域に向かう年月が近くなる。
いわば、高齢者との認識は~?という話題にはここ最近、敏感になっているのも事実。
「自分はまだまだ~。」って思っていても周りはどう思っているのだろうかって少し関心が湧く。
まさに、この種の街頭インタビューに興味津々となっているのである・・。


そんな中、敬老の日の出来事・・なのだが、「渡る世間は鬼ばかり」が3時間特番があった。
特段、楽しみにしているわけでもないし、数年前、木曜日にドラマで放映されている時でも
ほぼ観たことがない・・。まあ~どちらかというと、ドラマ系の番組には興味がないのである。
・・が、その日の「渡鬼」は最後まで観てしまったと言う事実がそこにあったのである・・。

午後8時、あのいつものオープニングテーマが流れる・・。何となく懐かしさを感じる中、
他に観たい番組があった訳でもなかったので、バックミュージック的な感覚で映している。

そして物語がスタート・・。まずは「岡倉」の次女、五月が嫁いだ「幸楽」でのストーリー。
「幸楽」の長男、眞が嫁に逃げられ、残された赤ん坊の世話に四苦八苦する話から、
やがて、「岡倉」の五女、長子の夫婦のことや長女、弥生の生きがいの話へと展開・・等々。

「・・なんか、目が離せなくなったね~♪」って一緒に観ていたおかんがぽつりとつぶやく。

「・・・。」 そうなのだ・・。本当に目が離せなくなってしまっている自分に気づいたのである。
「ほんと。ウォーキングに行く予定だったのに~。」なんて思いつつも一向に立ち上がれない。
次から次へと変わる物語の展開にマジに目が離せなくなってしまった・・。

というか、それぞれの家族のストーリー、そして五月や長子、弥生の思いなどに共感が覚え、
「そうだよね~、」 おかんと言葉を交わしながら熱中している自分がそこにいたのである。

・・結局、ウォーキングはその日は取りやめ・・。最後まで「渡鬼」を満喫した次第で・・。


「渡鬼」を通じて敬老を考えてみた・・。


放映後、「何か面白かったね~。」 おかんの意見に賛同・・。複雑な気持ちが充満。
しかし、満足したのも正直あったし、「また今度も観よう~。」なんて思いも浮かべながら、
「渡鬼を楽しみにしているのか・・。」と自問自答・・。複雑な気持ちが混迷を深める。

・・そればかりではない。最近じゃ「サスペンスドラマ」も好んで観るようになったし、
また皇室関係、特に天皇・皇后両陛下の動向に関するニュースや番組も欠かさない・・という。
テレビ番組等に関しては、確実に趣向が変容した感は否めないのである。

このような趣向の変容は「食」にも及んでいる・・。
これまでの肉食一辺倒から魚類が多くなり、サラダはほぼ毎食。ごはんの量も激減している。
長いも(トロロ)やオクラなどのネバネバ食材も食することは今まで考えられなかった。

「・・年取ってきたね~。」なんて思いはしていないが、確実に若い頃よりは変化している。
当然、身体能力は衰えているだろうし、考え方だって今の世代とは別次元の世界と感じる。
年を取る(重ねる)ことは悪いことじゃないんだ・・なんて、容認する思いも年々強さを増す。

しかしその反面、これからも元気で若々しくいたい~って思いも増している訳だが、
まあ~そんな意識をしている自体、「老い」を感じているって証拠だろうけどね~。

とりあえず、今の心理状況はあの「渡鬼」の「岡倉家」の人たち同様かもしれない。


何となく・・。敬老の日が確実に「我が事」のようになるのが迫っている気がしている・・。





Posted by UMUサン at 21:45│Comments(0)
 
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