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2016年05月15日

「ヤマト世(ゆ)」となった日・・。


本日5月15日は、沖縄が本土に復帰して44周年・・。

ちょうど、自分が小学校2年か3年生だったような。


その時のかすかな思い出がいくつかある。
記念にニコニコマークの下敷きやバッチをもらったりして、
復帰した意味が良く分からなかったんですが、嬉しかったことは覚えています。

他に、あの当時、自転車を3ドルで購入することになっていましたが、
復帰直後、1ドルが360円の通貨交換だったんで、3ドルでは1.080円。
で、1.080円で自転車が買えなかったな~みたいな残念な記憶もある。

ま、個人的なちっちゃな思い出ですが、
沖縄は、この44年間にいろんなことがありましたね~。


そのうちの1つ、野球に関して言えば、首里高校のこと。
皆さんもご承知だと思います~。

1958年に夏の甲子園大会が第40回の記念大会と言うこともあって、
すべての都道府県から代表チームを出場させることになり、
沖縄代表も甲子園に招かれることとなった・・。復帰以前の話だ。

が、初戦で敗退。参加することに意義がある・・なんて、
あの当時は、沖縄に対しての風潮があったかもしれない。

首里高校の選手も他のチームと同じように出場記念に
甲子園の「土」を持ちかえろうとした・・が、復帰以前の沖縄は外国。
検疫審査で没収され、那覇港の海に棄てられたというのは有名な話・・。

いかに、沖縄が「アメリカ世」の中にあり、大変だったかを物語る。


「ヤマト世(ゆ)」となった日・・。

「ヤマト世(ゆ)」となった日・・。


あれから、約58年余り・・。
今や沖縄の代表校は、押しも押されぬ全国屈指の強豪県となった。
沖縄水産高の2年連続の夏の甲子園準優勝、沖縄尚学高の2度の春制覇。
そして、約5年前の興南高校の春夏連覇は記憶に新しい・・。

自分の亡くなったばあさん(祖母)が「高校野球」と「プロレス」が大好きだった。
高校野球は、他県に負けるな~とテレビに釘ぎづけで応援し、
プロレスでは、アメリカ人レスラーに負けるな~と必死に声援を送った・・。

今、生きていて、興南高校の快挙を見てたら、さぞかし喜んだことでしょう~・・。

今じゃ、学童野球だって九州大会や全国大会にたくさんのチームが出場し、
素晴らしい成績を数多く残している。

当時からすると考えられないことですよね~・・。

これからどういう未来が待っているか分かりません。
まあ~首里高校のような悲しい出来事は二度と起こらないでしょうが、
興南高校のようなことは再び巻き起こるかもしれないのだ・・。


・・本土復帰44年目・・。高校野球のような「ヤマト世(ゆ)」になるよう願う~♪




Posted by UMUサン at 22:40│Comments(0)
 
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